時の移ろい(3)

午後からは陽射しも好く寒さも穏やかだったので書斎の大掃除をした。
大掃除と言えばこれまでは徹底的にやったものだが今回は随分手抜きだ、面倒くさくなっている。

書斎の片隅に大きな洗濯カゴが置いてある。
後でゆっくり整理分別しようとするものを取り敢えず放り込んでおくとか、机の上のものを片付ける時の一時避難などの為のカゴだが、今日引っ張り出して見るといろんなモノが放り込まれていた。

カゴの一番下に古い年賀状の一束を見つける。7年前のものだ。
賀状は翌年には処分していたのにこの一束はカゴの中で忘れられていたのだ。
片付けの手を休めてその年賀状を見ていて、この7年間で故人になってしまった人の賀状を何枚も見つけ、逗まることのない時の移ろいを感じていた。
それに今年も10通近い喪中はがきを受け取っている。

カゴの中からは時の移ろいを感じさせるいろんなモノが出て来た。
今では高一と中一になっている孫たちが園児の頃一緒に造った紙工作の名残、ケント紙や色紙、フイルムの空ケース、バルサ材の切れ端、ストロー等々、どれもが孫たちのその時の様子を懐かしく思い出させてくれる。
捨てずにカゴの中に残してあるのもリチャード・ドーキンスの言う”利己的な遺伝子”の所為だ。

どうしてこのカゴに放り込んであるのか分からないものもあった。
年賀状の抽選で貰えるお年玉切手だ、詳しくは見ていないが相当の年数分だ。

これからも書斎の片隅に置かれているこの洗濯カゴにいろんなモノが放り込まれていくことだろう。時折には中身をひっくり返して点検しなければなるまい、物忘れが始まっているのだから。