対称性とは

中沢新一の「神の発明」を読んでいるが、ある言葉がうまく理解出来ずしばらくの間前へ進めずにいた。
「対称性」「対称性の自発的破れ」。これらの概念はあまりにも難解で、調べれば調べる程私の手には負えない世界に入り込んでしまう。

この「対称性」あるいは「非対称性」の意味するところが分かっていないと、
”スピリットの世界=(グレートスピリット+スピリット)ー(高次対称性)”
”神の世界    =非対称性・高神 、 低次対称性・来訪神”
等の意味する世界をうまく理解出来ないのだが、分かる範囲で分かればそれで由としょうと決めて強引に前へ進むことにする。

難解な言葉あるいは難解な概念にぶつかった時、いつも頼りにしている一つの言葉がある。
「学ぶということは、深い深い井戸から底に穴の開いた釣瓶で水を汲み上げ水桶を満たすようなもの。汲み上げるまでに水のほとんどは流れ落ちてしまっているが、一滴の水は残っている。この一滴の水も溜まれば水桶を満たす。
多く学んで多く忘れなさい。沢山読んで沢山忘れなさい。
それでも一滴の水は残る。一片の知識は残る。」
深草キャンパスの講座で聞いた言葉だ。

「神の発明」も後僅かになった。
中沢新一の云う「対称性」をきちっと理解する為には、カイエ・ソバージュ対称性人類学
をも読むハメになるなりそうだ。

夕方の散歩でオオミノガのみの虫の変化を見る。変化なし。