老いのかたち(22)

運動不足解消にと早めの夕方の散歩に出た時、黒い毛並みの犬を連れたTさんに出逢う。
90歳も半ばを越えたお歳のTさんなのだが、驚くほど矍鑠としておられる。
お変わりありませんか、今日はお一人でなくお供がいるのですね、話しかける。
耳の遠い者同士の会話だから、頓珍漢な受け答えになったり、お互いが問わず語りの一人話になることがしばしばなのだ。

春先の気候の話や黄砂の話が出た後、戦艦武蔵がフイリッピンのレイテ島近くの海で発見された話になり、いつの間にか、Tさんが経験した地獄のような戦場・インパール作戦の話になっていた。
Tさんはインド北東部の都市インパール攻略のために実行された、戦史上でも最も杜撰で無謀な作戦と言われている、インパール作戦の生き残りなのだ。
飢えと病気に苦しみながら敗走を続けていた時のことを、Tさんはどんなふうに心の奥深くに閉じ込めているのだろうか。
何かをきっかけに(今回は戦艦武蔵発見の話から)閉じ込めたものを覗き込むことがあり、つい独り語りになるのだろう。

Tさんは遠くを見つめるような眼をした後、我に返ったようにぴょこんと頭を下げ、黒い犬に引っ張られて行った。

小さな谷間の畑でフキノトウを見ながら、口に入るものは何でも喰ったが遂にはそんなものも見付けることが出来なくなっていた、というTさんの地獄を想像していた。
飢えた経験のない者がイメージ出来る地獄は、戦場の写真や記録映画で見た悲惨な光景からの想像ゆえ、暗い闇の奥底を覗きこむようなものではない、いわば飽食の時代の飢えの想像以外にない。

2・3日前の京都新聞で「フキノトウの粥」という寄稿文を読んだ、同じものを作ってみるか。