十六夜の月

満月になれば目当ての湖岸のポイントへ月光を撮りに行こう、そんな計画を立てていたのに今夜もそれが実行できずにいる。

今日の光華セミナーの余韻を妙な形で引きずっている、それが原因なのだ。
講座は最終回の”生きる力を求めてー中村久子と「歎異抄」”(鍋島直樹 龍谷大学教授)だった。
中村久子という、3歳の時に凍傷がもとで両手両足を失くしてしまった人の、いのちの有り様、生きる、生かされて、の話だった。
余りにも過酷な人生。苦しみの中で見つけ出してゆく安心(あんじん)の話だ。

ボケーッと呆けた日々を過ごしている自分に何かを突付けてきたのだ。
その何かが何なのかは分からない、持ち重りのする問だった。

残り時間も少なくなっている老兵の呆け日和の安穏に波風立てることもあるまい。
そんな思いで逃げ場を探している。
十六夜の月が窓の向こうに煌々と輝いている。

明日の夜は立待月、目当ての湖岸へ行こう。
持ち重りのする何かを琵琶湖に放り込むためにも。