みょうがの花

終日の雨、書斎に閉じ籠っている。

amazonから頼んでおいた本が届いた。

「形態の生命誌」(長沼毅、新潮選書)新聞の書評欄の紹介記事に触発されての購入。
「辺境生物探訪記」(長沼毅・藤崎慎吾 光文社新書
「完全な人間を目指さなくてもよい理由」(マイケル・サンデル ナカニシヤ出版)
この二冊は衝動買いだ。
宅急便の受け取りはいつもカミサンだ。
amazon段ボール箱を受け取る度に、ツンドク状態の本がまだあるのに又ですかと睨まれる。

確かに未読だったり途中までだったりという本が増えている。
本は最初から最後まで丁寧に読まなければならないものと、必要な箇所だけ読めばいいものとがある、こんなことを言った読み手がいた。
この言葉に便乗している訳じゃないんだが。
いずれにしろ積ん読状態を早急に解消しなければならない、残り時間が少ないのだから。

風が静まり雨が止んだ合間に庭に出てみる。
ルリタテハの幼虫が気になったのだ。
吹き荒れていた雨風に吹き飛ばされたのか何処にも見当たらなかった。
探している時ミョウガが花をつけているのを見つける。

自分の名前も生涯覚えられなかったと言われる釈迦の弟子チューラパンタカのことや子供の頃
母親がミョウガを食べたら物忘れをするようになると言っていたこと等を思い出した。

ミョウガの花を撮りながら自分の捜し物が多くなっていることが気になっている。