虫撮りと読書(2)

Pukuさんとの朝の散歩の後、Aさんの菜園を覗く。
イチジクの葉の上のカミキリの交尾を撮り、もう少しアップでと一歩前に出るとオスの方がスイーツと飛び立つ。

この飛翔を見てまるでスクランブルをかけるように、近くにいたアオメアブが飛び出し、これに触発されて少し離れた所のシオヤアブが飛び立つ。
 アオメアブ
 シオヤアブ
二匹のアブの同時攻撃のように見えたが、カミキリにアタックしたのはアオメアブの方で、縺れ合うようにして草むらに落ちる。
攻撃は失敗したようで直ぐにアオメアブは草むらから飛び出してきたが、カミキリの様子は判らない。
肉食性のアオメアブやシオヤアブが、ハエや小さなカナブンを食っているのを見たことはあるが、自分以上に大きいカミキリにアタックをかけたのを見たのは初めてだ。
Aさんの菜園のイチジクにはキボシカミキリが何匹もいるし、アオメアブもシオヤアブもいる。
こんな珍しい光景が視られるようなら、CasioのEX-F1でのパスト連写がいいかもしれない。
こんなシーンを撮るのはまず不可能だと承知しながら空想を楽しんでいる。

「極北の動物誌」を読みながら、記憶とはどんな構造をしているのだろうかと思ったりしている。
記憶ということに関して詳しく知りたいとは思ってはいないが、妙に気になっている。
それは「極北の動物誌」の「ムースの民」から受け取っていた初めて読んだ時の情景(イメージ)と今読みながら感じ取っている風景が相当に違うのだ。
ムースを追うディンジェ族の猟師とクラと呼ばれるパートナーの姿が、当初は髪の黒い壮年だったのに今は白髪の増えた老人になっているのだ。
タイガの森でムースの跡をつける様子は、最初の軽快さはなく、今は息を弾ませているのだ。
「ムースの民」の情景を思い出すことが時々あった。
アラスカの写真集を見たり、テレビでアラスカ紀行を見たりした時だった。
その時、記憶の中にいる猟師やクラ、猟師の家族は若かったし、極寒の大地・タイガも明るかった。
今イメージしているのは雪嵐の吹き荒れる暗い森にいる年老いた猟師なのだ。