図書館からの帰り道、爽やかな陽射しだったので小半時和邇川の土手道を歩く。今日は不思議とチュウサギたちの姿が少ないのだ。川中にも周囲の稲刈り後の田んぼにも集団の姿が見当たらないのだ。
コサギがウグイらしい魚を捕食するのを1ショット。
手持ちのEOS7D+150-600mmを重く感じ始めたので帰途につく。
図書館から借りだしたのは「ケルト神話伝説物語」、手にしてパラパラッとめくった時眼にした写真や挿絵が面白かったので借りたのだ。
早朝の湖岸を歩いていてキジを見つけた。JR湖西線和邇駅から北へ1.5Kmほどの所に喜撰川という細流が流れている、その河口近くの浜でキジを見掛けたのだ。思いもよらぬ場所だったのでびっくりした。肩に掛けていたカメラバッグや三脚を道端に下ろしそっと近づく、いつものフィールドに居るキジと違って人馴れしていないようだ、間合いを詰める間もなく草むらに隠れる。
コヤツは何処からどんなルートを辿ってこの浜辺までやって来たのだろうか。この浜3Kmほどの範囲に喜撰川の他3本の細流が比良連山の南端の山裾から流れ落ちている、長距離の飛翔が苦手なコヤツはこれらの川のいずれかを辿って来たのだろうか。
草むらに潜り込んだキジを再び見ることはなかった。
和邇川には今日もたくさんのチュウサギたちがいた。10数羽づつのグループがそれぞれの縄張りを持つようにある間隔をあけて獲物を狙っているのだ。
残念ながら今日もシャッターチャンスに恵まれなかった。
ご近所のIさん宅の庭先で白い彼岸花が咲いているのを見つけフエンス越しに撮る。
いつもはAさんの菜園の草深い斜面に顔を出す白い彼岸花を撮っていたが、不思議なことに今年は見当たらないのだ。何が原因だろうか。
飼育箱の天井にぶら下がっていたアケビコノハの幼虫に変化があった。天井から下り、幼虫の餌にと入れておいたアケビの葉を綴り合せてその中に潜り込んでいた。まもなく蛹化が始まるのだろう。
階段の石垣でセスジスズメの若齢幼虫を見つける。80-85mm近い大きさの終齢幼虫になると黒褐色の体にずらりと並ぶ黄色と赤の眼状紋が気味悪いほどだが、若齢のコヤツが白い紋様を先端に持つ尾角をピンと立てて足早に移動していく姿は、いと可愛、そんな感じだった。
玄関先のタカサゴユリは未だ青々とした葉をつけている。その葉の上にルリタテハの幼虫が2匹いるのを見つける。
昨日、食い尽くされて葉の失くなったユリから新しい餌場を求めて移動して行ったヤツを、ヤツが下りていったユリの下のスズランの葎で、随分丹念に探し回ったが見つからなかった。見つからなかったヤツの内の2匹が、元の場所から2m近くも離れたタカサゴユリにいるのだ。玄関先の玉砂利の上を這って来たのだ。どうやってこのタカサゴユリを見つけたのだろうか。幼虫はどんな能力を備えているのだろうか。
ひょろりと伸びた小さなヤマイモの葉にもルリタテハの幼虫がいた。
昨日、柚子の木の下のオニユリに2匹移しておいたから今日の3匹と合わせて5匹、当初見つけた数になった。
明日は久しぶりの好天のようだ。遠出してみるか。
昨日ITOUさんが届けてくれたアケビコノハの幼虫が蛹化の準備だろうか、飼育箱の蓋にぶら下がっていた。
アケビコノハのサナギを見たことはないが、食草のアケビの葉などを折りたたむようにして丸め、綴り合せたその中に潜り込んでサナギになるとのことだから、アゲハの仲間やルリタテハのように木々の枝先にぶら下がって蛹化はしないはずだ。飼育箱の天井にぶら下がっているコヤツは異常な行動をしているのだろうか。この後どんな状態になるのか、たのしみだ。
今朝見ると玄関先のユリの葉はルリタテハの幼虫に食い荒らされて丸裸になっていた。
このユリから次の餌場を求めて幼虫たちは移動して行ったようだ、このユリに幼虫の姿は見当たらない。昨日は5匹が残り少ないユリの葉を齧っていた、そのうちの2匹が近くのホトトギスの葉に移動している。
幼虫がいたユリから少し離れた所にスズランの小さな葎が在る。その葎の中に背の低いホトトギスがいくつか頭を出している。これに幼虫が来ていないかと、葉裏一枚づつ覗き込むように丹念に探したが、幼虫の姿は見当たら無かった。見つからなかった3匹は何処へ行ったのだろうか。
アケビコノハの幼虫をITOUさんが届けてくれた。庭の手入れをしていて見つけ、虫好きの私のために取っておいてくれたのだ。サナギになり成虫になるところを見たいと思い有り難く頂戴する。食草のアケビは小さな谷間の畑へ行く途中の山際で手に入れることが出来るから飼育に困ることはない。飼育箱の中で幼虫が変化していく様子が楽しみだ。
過去にもITOUさんからアケビコノハの幼虫をもらった事があるのを思い出し、ブログを検索してみると、4年前の9月17日に終齢幼虫をもらっていた。この終齢幼虫のその後の記載がブログにないのだ。どんな経緯だったのか全く思い出せないでいる。今回は最後まで見届けたいものだ。
庭先のヤツデの木の下で命尽きたヤママユを見つける。
「小さな命の終わり」と名付けたファイルを持っているが、ここ3-4年はファイルに取り込む写真がほんの僅かだ。フィールドの草むらや雑木林の中を歩く時の注意力が劣化しているのだ。見つけることが出来なくなっているのは当然のことだろう。