季節の移ろいに鈍感になっている

陽射しは穏やかだったが風が強かった。時に突風が吹きつけることもあり、田圃道では2度ほど帽子を吹き飛ばされる。キジの姿を見掛けることはなかった。ファインダーを覗いたのは、ヒバリ、ビンズイムクドリを見掛けた時だけだった。

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白い小さな花で覆われた田圃の中のムクドリに焦点を合わせていて、その小さな花がタネツケバナであることを思い出し、季節の移ろいに鈍感になっている自分に驚いていた。虫撮りを専らにしていた頃は、道端の野草が芽を出し花を咲かせるそれぞれを、オオイヌノフグリだ、ホトケノザだ、ナズナだ、タチツボスミレが咲き始めた、カタバミも咲いているなどと、季節の僅かな変化をも敏感に捉えていた。それが今では草花の旬を意識しなくなっていて、季節が移り変わっていくことに敏感に反応しなくなっているのだ。タラの芽が伸び始めればコブゾウムシを、カラスノエンドウが咲き始めればアブラムシやアブラムシを捕食に来るテントウムシを、ヤマトシジミの幼虫を見つけ出そうとカタバミの葉についている食痕をさがしに.........etcと季節の移ろいに合わせていろんなプランを考えていたのに、ボケーッとした日々が続いているのだ。

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老いの感受性はますます鈍化していくようだ。寂しくなる。