自作自給能力

太陽が輝く雪晴の青空は何とも言えず素晴らしい。
午後から陽当りのいい南側の部屋に、ノートPCや書見台や電子辞書など一式を持ち込んで作業をしていたが、ぽかぽか陽気に誘われるように居眠りしてしまっていた。
最近は午睡することもなかったのにガラス窓越しの陽の暖かさと今朝読んだ新聞記事の所為だ。

その新聞記事とは、京都新聞の一面に毎週日曜日に掲載される「ソフィア・京都新聞文化会議」の寄稿記事だ。

”「危険時代」を生き抜く術 ”という見出しで今里 滋(同志社大教授)氏が寄稿されていた。

現在我々がさらされている危険は、「科学技術由来の危険に加え、地理・地質学的に途方もない自然災害の危険」とこれらと同時の「財政恐慌」という危険だという。
この財政恐慌、経済が破綻するような状況は欧州だけでなく、我が国にも到来する可能性は否定出来ないという。それというのも「日本の公的債務の対GDP比率は世界最高水準」だからだ。

財政が破綻すれば国家は崩壊する。
その一例として「国家が破産したらどうなるのか? アルゼンチンという先例がある」と恐るべきインフレ下でのアルゼンチンの人々の生活を例示されている。

我々もこの「危険」にさらされ「危険時代」を生きなければならないとすればどうするのか。
今里教授は危険時代を生き抜く術として三つの事を挙げておられる。
一つは「少欲知足」の生活哲学に転換すること。
二つ目は、一人でも多くの人が衣食住エネルギー等の自作自給能力を身につけること
三つ目は、お金に頼らず、持続可能な経済システムを随時創出し運営できる経世力。

字面を追っていればなるほどなと思えるのだが、もう一つその深みが納得できないでいるのだ。
現役時代は「売上増」を絶えず意識していたし「拡大再生産」を、別な言い方をすれば「消費は美徳」的な思考の世界にいたから、社会全般が「少欲知足」を旨としてしまえば、経済活動や生産活動は大打撃を受け社会は逼塞してしまう、そんな風に思えてならないのだ。

また、教授は本来の意味での「百姓」になることで、衣食住エネルギー等の自作自給能力を身につけることを説いているが、現代のような複雑な社会・経済構造の中で自立した「百姓」になれるのだろうか。中世以前の社会であれば「百姓」(農民、山民、商人、職人、漁民など)としての生活もできただろうと思うが。

とつおいついろんな事を考えている内に居眠ってしまっていた。

「少欲知足」「自作自給能力」これらと共に「節約」や「自粛」等についてももう少し突っ込んで考えねばなるまいと思いながらも、老兵には無理じゃないのと自問している。
今読んでいる「方丈記」と何処かで繋がるところがあるのかもしれないと思ったりもしている。