時の移ろい(2)

普段の日には見られない大庄屋諏訪家屋敷(守山市赤野井)で小菊盆栽展開かれていることもあって、特別公開されているという新聞記事を見て行ってきた。

大庄屋の屋敷ということで色々と想像を逞しくし期待して行ったのだが、期待が大きすぎた。
それなりの格式を持った屋敷だとは思うが間数も少ないこじんまりとした屋敷だった。
往時、屋敷内も庭も手入れが行き届いていた時には小さいながらも風格が備わっていただろうが、今では朽ちかけた物寂しさのみがあった。

この諏訪家は代々庄屋取締役の大庄屋を務めていたようだが、どれほどの田畑を所有し小作人を使っていたのだろうか。
幕末にかけての近江の国は、大藩彦根の他は膳所、水口、大溝などの小藩が六藩、それに天領
旗本御家人領、寺社の荘園などが複雑に入り交じっていたから、いわゆる大庄屋・豪農と呼べるものはこの地に存在し得たのだろうか。
釈迦堂川を通って琵琶湖に出られるようだが釈迦堂川に通じる石造りの水門は狭く、せいぜい小さな田舟が通れるくらいだ。
いろんな事を考えながら屋敷内を見て歩いた。
書院玄関の式台が拭き込まれて艶よく輝いていた往時、この屋敷は小さいながらも凛とした風格と空間を持っていたことだろう。時の移ろいは何もかも老化させてゆくのだ。

書院の奥座敷の壁に次のような額が掲げてあった。
この額のことが気になっている。

なんと読むのだろうか。
「霜」を白髪頭の意で読めば老いても元気であれと読めるんだが。