食の楽しみ

今朝の京都新聞第一面のコラム「天眼」に、井波律子さん(国際日本文化研究センター名誉教授、中国文学)の「食の楽しみ」という記事が掲載されていた。
井波さんの日常生活や料理に関することが書かれそれに続いて、「思うに、食の快楽を尽くすにも、多大なエネルギーが必要なのではないだろうか」と記され、北宋の蘇東坡や清代中期の文人袁枚(えんばい)が、「平凡な食材に手を加えておいしい料理に仕上げ、食の喜びを尽くし」また「おいしい料理に出会うと、その料理人から調理法を聞きとつてメモをし」たことなどが紹介されていた。
「蘇東坡にせよ袁枚にせよ、食の快楽は、いかなるときも元気に生きるためのポイントだった」と。
そして「私も自分がいかなる時代に生きているのか、認識しながら、めんどうがらずに、少しは工夫を凝らして食の楽しみも味わい、マイペースで元気に生きたいものだと思う」という一文で結ばれている。
楽しいコラムだった。
繰り返し読む。
今日は料理当番の日、稲庭うどんが無性に喰いたくなっている、井波さんに倣って、自分も自分好みに一工夫して食を楽しもう。

雑木林の入り口でキリギリスの未成熟体を見付けた。