国破れて山河あり

今度の衆院選の争点の一つがTPPの問題だ。
このTPPに関して、菅前首相が交渉参加を表明して以来、何冊かの書籍を購入したし、新聞報道等も丹念に読んできたが、交渉参加の是非、TPPに加入した場合の問題点が未だによく解らないだ。

それぞれの立場によって、”関税をほぼ例外なく撤廃する”意味合いが異なっているのだから、参加することにメリットのある側とデメリットの大きい側双方が声高に是非を主張しあうのも当然のことだと思う。
私がよく解らないのは日本国全体の国益という視点で見ればその是非は奈辺にあるかと言うことだ。

貿易の自由化ということは確かに重要なことだと思うが、TPP参加が引き金になって農業が疲弊し、農山村が一層過疎化することで国土の様相が変わり果てないかと心配されることだ。

先日も「耕作放棄地と生態系 −自然に戻らず荒れ地にー」という鷲谷いづみさん(東京大大学院教授)の寄稿記事(京都新聞)を読みながらその文中に、TPP反対論者の言うTPP加盟により農山村が疲弊してしまった時の、その姿をまざまざと想像していた。

鷲谷教授は「人口減少」「高齢化」「都市への人口集中」これらが進むに従って広範な農地の放棄が起こり、これによって水田は乾いた荒れ地になり、侵略的外来植物が生育するのに最も適した環境になると指摘されている。
その将来を先取りしたような姿を原発事故の影響で立ち入りが制限されて稲作が出来なくなった福島県富岡町大熊町の地区で調査され、セイタカアワダチソウやオオアレチノギクといった外来植物が生い茂り既に水田の面影は失われてしまっていると報告されている。

TPP加盟参加の是非を考えている時決まって、唐の詩人杜甫の「春望」の最初の一節が浮かぶ。
「国破れて山河あり」杜甫のこの山河は昔変わらぬ草木の生い茂る山河だが、TPPの山河は瑞穂の国の山河ではなくセイタカアワダチソウやオオアレチノギクの生い茂る荒涼とした山河になりかねないのだ。こんな風景は見たくないものだ。

山一つ越えた向こうの山村ではもう何年も前から水田は萱の生い茂る荒れ地に変わっている。


人の気配も消えてしまった光景なのだ。