老境に入った人は先々のことを思い描くよりも、記憶の深みから過去にあったことを引っ張り出してそれを楽しむという。思うに私自身もいつの頃からか思い出の光景を喰い、それを味わい楽しんでいる。今日もイネ科の植物ノギ(芒)の長い小さな実から小学5年生の頃のことを思い出していた。
買い物の行き帰りの車の運転中もカートを押している時も、左太もも付け根の付近がなにかの拍子にチクリチクリと痛いのだ。小さな棘に刺されている感じだ。家に帰り調べてみるとズボン下にノギの長い小さな実が一つくっついていた。くっつき虫と呼ばれる野草の種の一つチカラシバのノギだった。先日キジを追いかけて耕作放棄地のあぜ道を突き進んだ時、ズボンや靴下、靴の紐にまで絡みついていたヤツの片割れだったのだ。
コヤツは逆さ棘を先端に持っているからその突起が衣服などに刺さると手で払ったくらいでは取れない厄介者、ズボンなどに付いたヤツをひとつひとつつまみとるのに難儀した。丁寧に取り払ったつもりだったが何処かに潜んでいたヤツが洗濯の折にでもズボン下に移ったようだ。チクチク痛かった犯人はこの小さな侵入者、簡単にとれないヤツが場所を変えてズボン下にくるとは。
この小さな侵入者がひっつき虫の代表者オナモミのことを思い出させた。
小学5年生の頃は悪童の一人だった。音楽の時間はクラス担任の先生ではなく音楽担当の先生だった。その年の春卒業したばかりの新任の女の先生だ。その先生が座るピアノの椅子の座布団に、カラカラに乾いて固くなった棘を持つオナモミを一つ付けるという悪戯をした。椅子に座るなり「あおっ」そんな奇妙は声を上げて立ち上がる。教室は一瞬静まり返った。オナモミを見つけた先生はそれをハンカチに包むと教室を見回した後、「今日は都合により自習にします。ハーモニカの練習をしてください」と言いおいて教室を出ていった。事情の分からないクラスメートは「あおっ」という悲鳴にも近い奇妙な声にキョトンとしていたが、自習時間と聞いて教室は騒がしくなっていた。スカートの上からとはいえナモミの棘は痛かったのだろう、教室から出ていったのは小さな突き傷から血が出ていたのかもしれない。これまでにも何度か悪戯されていたから堪忍袋の緒が切れたのかもしれなかった。それから1週間ほど経った昼休みの時間、悪童仲間3人が校長室に呼ばれた。悪戯の数々が誰かによって報告されていたのだ。
長いノギを持つ小さな侵入者が思い出させる70年近くも前の様々な光景。老爺は思い出を喰っているのだ。