ヒヨドリと南天の実

地に落ちることもなく途中でふわっと消えていく小さな雪。こんな雪片が舞ったりやんだりの一日だった。読書(スティーヴン・ジェィ・グールドの「ワンダフルライフ」)に集中することも出来ずの終日の呆け暮らしだった。昼下がり、そんな老爺にヒヨドリの甲高い鳴き声が届く。庭先の南天の実を啄みに来たようだ。秋口には枝先をしならせる程の実が見られたが、啄み続けられ今ではほんの僅かしか残っていない。その最後の実を啄みに来ているのだ。カーテンを少し開けその隙間から覗くと眼の前にヒヨドリがいる。赤い実を一粒嘴に咥えているのだ。シャッターを押したが撮れていない。瞬間のタイムラグだ。機材の所為か老爺の俊敏さの欠けか、いずれとも判らないが。

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南天の実には、運動神経や知覚などを麻痺させる毒(アルカイド系のナンテンニン)が微量ながらある。大量に服すれば運動神経に影響が出るのだ。この故だろうか、鳥たちは一度に大量を啄むことはないと言う。眼の前のヒヨドリも赤い実を一粒飲みこんだ後しばらくの間フエンスの上にいたが、再び実を啄みに南天の木に向かうこともなく、飛び去っていった。ヒヨドリが飛び去った後、窓から顔を出して南天の木を見るに、残されている実はぽつりぽつりと枝先に点在する5粒ほどだった。

 

与謝蕪村の句に、ひよどりのこぼし去ぬる実のあかき という一句がある。この赤い実は何の実だろうか。熟柿を啄んでいる時にこぼした熟柿の欠片だろうか、それとも啄みそこねた南天の実だろうか。

庭先に残された5粒ほどの南天の実、いつ失くなってしまうのだろうか。

明日は大雪のようだ。