寒立ち

高校に入った頃から辞書を読むのが好きで国語辞典や漢和辞典などをよく読んでいた。現在でも白川静さんの「字統」や「字訓」を持ち出すことがよくある。今日もある言葉の意味合いが気になりWebで調べていた時、寒立ちという言葉に出くわした。

「寒立ち」とは「厳寒期にカモシカが早朝に絶壁の突端や高い岩上に現れて数時間立っており、しかも毎日同じ場所に現れること」とあった。この言葉の解説を眼にしながら、随分前に、厳しい底冷えのする京都の辻に立つていた雲水さんのことを思い出していた。碧い眼の若い雲水さんだった。この時10数枚シャッターを切っている。古いデーターなので外付けHDDなども持ち出してみたが該当するファイルが見当たらないのだ。検出に試行錯誤していて、ブログに書いたことを思い出す。

2013年1月27日に「寒行」というタイトルで投稿していた。以下の写真はこの時のもの。寒行の足元を強調したくてトリミング、しかもブログ用に縮小している、この一枚しか残っていないのだ。

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網代笠を被り胸元に木製の持鉢を抱えていた。足元は素足にわらじ。凍てつく街路に立っているのだ、その冷たさに足は赤くなっている。ややうつむき加減で半眼に眼を閉じ、小さな声で経(般若心経だろうか)を唱えていた。碧い眼の若い雲水さんが極寒の中に立っている姿に清々しさを感じていた。このファイルが見つからないのだ。この検出作業の折見つけたものが他に1枚あった。同じ雲水さんのものだった。

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佛大四条センターへ行く途中で、講座に遅れまいと雑踏の中を小走りしていたから、ザックからコンデジを引っ張り出して1ショットしただけだったことを思い出している。

講義を聞きながらも、極寒に見た時以来あの雲水さんは同じ場所に立ち続けれいたのだろうか。静謐な僧堂や山中で瞑想することに比べて、喧騒な雑踏の中での修行は相当に厳しいに違いない。そんなことを考えていたことをいま思い出しいる。こんなことの連想から、福井県小浜の発心寺(曹洞宗)の寒中托鉢の修行が頭に浮かぶ。毎年小寒の頃から節分の頃まで続く小浜の冬の風物詩、雪中の寒行托鉢だ。この行事もこれを撮りたいと思いながらも出掛けられずにいる。寒さに負け道の遠さに負けているのだ。

「寒立ち」いろんなことを思い出させてくれた一語だった。

 寒立ちす 碧き眼の雲水や 京の辻     風来坊