今日は二十四節気の一つ啓蟄の日だ。啓蟄の日が近づくときまって届けられるハガキやEメールがあった。旧い知人のMさんからだ。私が虫撮りに夢中になっていることを知っていたから、「啓蟄は貴兄にとっては新しい年の始まりですね。今年もいい写真が撮れますよう祈っています」こんな趣旨の便りが毎年あった。Mさんの便りももう届かくなっている、故人になって久しいのだ。10指に余る親しかった友人知人は3人ほどになってしまった。寂しさがつのる。
Mさんのことを思い出していたから虫撮りに出掛けたかったが、終日降ったり止んだりの雨の一日、出掛けられずだ。
雨の日は読書や書斎の片付けなどの日(晴撮雨読)だが、今日はいつになく億劫なのだ、ほぼ終日ボケッと呆け暮らしをしていた。
昨日、梅に来たメジロやシジュウカラを撮った後、遠回りしての帰り道、春蒔きの準備もまだ終わっていない畑がツクシ畑になっているのを見つけた。
虫撮りを専らにしていた頃、この時季は昆虫写真家海野和男さんが撮っているようなシーン、ツクシンボからテントウムシが飛び立つシーンが欲しくて歩き回っていた。そんなワンショットを撮っていることを思い出し、ファイルの中から探しだしたものが以下のもの。
(2013・3)
満足出来るものではないので撮りなおししたいと思いながらも、未だ果たせずにいる。ツクシの在る間にツクシとテントウムシ探しに行きたいものだ。
読み進んでいる「言語の起源」は難しい語句が多く含まれており、それらを調べながらの読みなので予想していたよりも遅々としている。それでも面白いのだ。
「遺伝的浮動」そりゃなんじゃい。そりゃなんじゃいとそんな思いが続くことも多いが面白い。