沈丁花とジョウビタキ

昨日は小雨交じりの風が吹き荒れ、時にしぶきをあげて窓を叩きつける強風もあった。こんな状況だったから鳥撮りにも出掛けられず閉じこもっていた。昨日と打って変わって今日は暖かくて穏やかな陽射し、長いヤツを持ち出してキジのフィールドへ出掛けたかったが雑用に追われてそれもならずだった。

午後3時前、孫娘の愛犬TAOさんの散歩を頼まれていたので、随分久しぶりの散歩に出る。犬連れでなければ天気のいいことでもありEOS7D+150-600mmを持ち出すのだが、重いヤツをぶら下げての散歩は厳しいと思い、ポケットに捩じ込んだのはOLYMPUSコンデジXZ-1。コンデジではなく重いヤツを持ち出しておけばよかったと後ほど後悔する事になった。小さな公園でシジュウカラを見掛けたのだ。メタセコイヤの高みの枝の間で餌探しをしているのだ。動き回る小鳥を腕を伸ばした先のモニター画面に捉えることは、初めてのことだったから容易ではなかった。虫撮りのときは飛翔体でも歩留まりのいい撮影をやってきたが、今回の小鳥は全てゴミ箱行きだ。

コンデジで撮った小鳥は空き家のフエンスにいたジョウビタキ沈丁花の香りに誘われて住宅地の角を回った時見つけたのだ。すぐ飛び立ってしまったがコイツがシジュウカラだったらよかったのにと思いながらシャッターを切った。

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空き家の裏庭にある沈丁花は手入れも行き届いた大きな木だったが、空き家になり不動産屋の標識が出てから乱暴に枝打ちされ刈り込まれて、無残な姿になっている。花の数も往時に比べようもなく僅かだ。遠くまで風に運ばれてきていた濃厚な香りも無くなっている。花が全て満開になったとしても、もうまとわりつくような濃密さは無いだろう。寂しい限りだ。

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空き家を手に入れた人は再び沈丁花を大きく育て上げるだろうか、それともバッサリ根元から切り払うだろうか。生々流転、いろんなものが変わっていくのが世の常だ。

 

孫娘は5日(金)の日が卒業式、春からは院生、時間の経つののなんと早いことか。彼女は医学部生命科学科に在籍している、どんな事を専攻しているのか詳しくは承知しないが、生々流転のことを考えていて、10数年前に読んだリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」が書棚の何処かに潜り込んでいること思い出していた。

明日は鳥撮りに出掛けられるだろうか、少し遠出をやってみるか。