玄関先の玉砂利の上で落ち蝉を見つける。ツクツクボウシの落ち蝉だ。危うく踏み潰すところだった。夏の終りから初秋にかけてアブラゼミの落ち蝉が庭先や階段に転がっているのはこれまで何度も見てきたが、ツクツクボウシの落ち蝉を見た記憶はない。夏の雑木林へ虫撮りによく出掛け歩き回ったが、声はすれども姿は見えずで、ツクツクボウシ自体を見かけた記憶もごく僅かばかりだ。
落ち蝉を見かけると決まって思い浮かべる一句が在る。今では作者の名が思い出せない。
落蝉の鳴きつくしたる軽さかな
今日も朝から炎暑だ。けたたましかったセミの鳴き声も随分と少なくなっている。セミの鳴き声も後どのくらいの間聞くことができるのだろうか。
今夏は暑さとコロナ禍とカミサンの体調不良で、お盆の墓参りに出掛けられずだった。セミの鳴き声が全く途絶えてしまい涼しくなった頃には出掛けられるだろうか。義母の墓は都会の中だったがその墓地には驚くほどのたくさんのクマゼミがいた。今年もたくさんのセミが生まれただろうか。
ツクツクボウシの落ち蝉を眺めながらいろんなことを思い出していた。