老いのかたち(41)

海が見たい そんな思いからカミサンを引っ張り出し、名神高速京都縦貫自動車道をぶっ飛ばして丹後半島まで来た。
車をぶっ飛ばしながら自分が日頃感じている以上に老いていることを意識する。。
80翁の運転だから安全第1を心がけてスピードを出さずにいた、当然だと言うよりも、アクセルを踏み込むだけの運動神経が無くなっているのだ。
以前だったら3時間少々で来た距離を4時間半ほど掛かっていた。
舞鶴大江ICで下り、日本の鬼の交流博物館(福知山市大江町仏生寺)へ向かう山道ものっりのったりだった。

鬼の博物館へは一度来ている、しかし思い出せるものがなにもないのだ、かろうじて既視感があるのは建物の外観の一部だけだった。
展示品の内容が以前と比べて大幅に入れ替わったかと尋ねてみたが、ほとんど変わっていないといわれた。


一度見たら忘れようのない鬼たちの貌の展示物がならんでいる、この貌のインパクトは忘れようのない類のものだ。
しかし、眼の前にある鬼の面は記憶の何処にもないのだ。
初めて見るものばかりとしか思えないのだ。
老いはこんなふうにして記憶の中のものを剥ぎ取っていくのだろう。
いろんなものが次々と剥ぎ取られていく、それでも最後まで残っているもの、それは一体何なんだろうか。

明日は海を見ながらゆっくり帰ろう。