キハラゴマダラヒトリを撮っていて

Aさんの菜園の草叢に貌を出している白い彼岸花を撮った帰り道、階段の一番下の蹴込みのところにいる白い蛾を見つけ、道路際に膝をついてファインダーを覗き込んだ。
白い羽に点々とする黒い紋、キハラゴマダラヒトリだ。


アメリカシロヒトリは時々見かけたが、コヤツは随分長い間見たことがなかった。

夢中でファインダーを覗いていた所為で、背後に人が立ち止まったのに気付かなかった。
「何がいるんですか」声を掛けてきたのは知り合いのYさん、数年前に脳梗塞を発症して右半身が不自由になっていたが懸命なリハビリの甲斐あって今では常人と変わらない歩行に戻っている。
虫撮りの行き帰りなどに出会うと「今日は何狙いですか」とか「今日は何が撮れましたか」と挨拶代わりに声を掛けてくる。

Yさんが立ち去った後もしばらくキハラゴマダラヒトリを眺めていて、ふと、虫撮りとは自分にとって一体何なんだろうかという思いが脳裏を過ぎった。

「虫撮り」や「鳥撮り」
これらの撮影行は、ある境界線を越えてボケの海に漂い行かないための「錨」なのではなかろうかという思いに行き着いた。
この錨が錨の役目をしなくなったら、「走錨」の状態になったら、あの台風21号の折関空連絡橋に衝突したタンカーのように重大な事故を起こすに違いない。
ボケの領海を漂い続けることの気味の悪さ、ゾクッとするような恐怖.........そんな状況にはなりたくない。
虫撮りや鳥撮りが正常な海域に留めてくれる錨であり舫い綱だとすれば,日々の暮らしの中で放り出す訳にも行くまい。

白い彼岸花、今年は何が原因かほんの僅かだった。

イチジクの木では腐りかけた実にアカタテハが来ていた。