ツヤアオカメムシ

早朝の玄関先は薄っすらと雪化粧していたが間なし消えてしまう。
雪の消えた階段で2匹のツヤアオカメムシを見つけた。
ツヤアオカメムシは成虫で越冬するという、階段の上に伸びる木蔦の茂みで越冬中のヤツが何かの拍子に転げ落ちてきたのだろう。
寒空の下のツヤアオカメムシ、これが今年最後の虫撮りになると思い100mmマクロを持出した。


1ショットした後木蔦の枯れ枝で突っついてみたが動き出す気配はなかった、死んでいるのだろうか、越冬状態だから刺激に反応しなかったのだろうか。

ツヤアオカメムシの後は南天の実のしずく。

先日、室内でのしずく撮り用にと花を探しに花屋さんを覗いてみた。
お正月前ということもあってだろうか、普段の日に比べて値段がかなりアップしていた。


今年も残すところ後3日、あっという間の1ヶ年だった。
80歳も目の前という老躯にとっては年の暮れも新年も特別な思いはない、昨日の続きの今日であり今日の次に来る明日という、ただそれだけの時の流れだ。
時の流れのことを時折意識することがある、そんな時、時の流れに遅速があり濃淡があるのではと思うことがある。
振り返ってみるに、鳥撮りにも行かず読書もせずの呆け暮らしで過ごした1日の時間は、薄い時間だったのだ。

ラルフ・イーザウの「ネシャン・サーガ」3部は昨夜読了した。
「縄文の思想」瀬川拓郎 著・講談社現代新書Amazonに注文する。