七つ下がりの雨

講座が終わって正面玄関に出てみると大粒の冷たい雨が路面を叩いていた。

龍谷大瀬田キャンパスでは、工事中のため駐車スペースが限られていて、タイミングが悪いと教室近くの駐車スペースが無くなり、遠くまでスペースを探しに行かなければならなくなる。
今日も遠い駐車場だったが車を停めた時は曇り空だったから左程の苦痛もなく、のんびりと冬の雑木林を眺めながら教室に向かった。
帰りは冷雨だ。
玄関先で行きは良い良い帰りは怖いなどと独り言ちていたが、雨の中を歩くしかない。
コートを頭から被り歩く、ずぶ濡れになった。

そんなこともあって帰りの車の中で、愛読書の一つにしている「雨の名前」・高橋順子著に記載されている雨の名前のことをいろいろ思い出していた。
半夏雨、霧時雨、月時雨、走り雨、滝落し、村雨、等など、「雨の名前」には400を超える雨の名前が記載されていたが、思い出せるものは僅かばかりだった。

琵琶湖大橋の上で車載の時計が4時を告げた時「七つ下がりの雨」という言葉を不意に思い出す。
「雨の名前」にも七つ下がりの雨のことが書かれていたが、もっと情感のある文章の中で読んだこともある、と思うもののそれがどんなものの中で眼にしたのか、即座に思い出せないのだ。
誰かの小説で読んだはずだ、誰だったかな誰だったかな、必死で記憶を辿っていた。
思い出せないのだ。

冷たい雨の中の午後4時の時報から七つ下がりの雨と言う言葉を不意に思い出したように、車庫のシャッターを下ろして雨の階段を駆け上がっていて、永井荷風の濹東綺譚にその言葉があったようだと突然思い出していた。
急いで書斎に上がりWebで確認する、確かに濹東綺譚に存在した。
昨年の梅雨の頃、青空文庫からKindleに濹東綺譚を取り込み読んでいたのだ。

今日の講座は「法華経を読む」の第4講・譬喩品 火宅三車の譬喩など面白く聴いた。
講座の帰りはたいてい講座のことを反復しているのだが、今日ばかりは雨の名前に気を取られていた。
雨、雨の風景を撮りたいとポンチョもカメラ用のレインカバーも用意している。
雨もまた良しと出掛けねば。