我儘な味覚(4)

久しぶりに図書館へ行く。
電子書籍kindle)で購入したヘミングウエーの「老人と海」訳・祭谷一斗を読み終えたが、
何かしらこなれの悪いざらざらしたものを喰ったようで後味が悪く、その悪さの一端を調べてみようと思い立ち図書館へ行ったのだ。

中央公論社版「世界の文学セレクション・ヘミングウェイ」を見つけ、それに所載されている「老人と海福田恒存・訳を読む。
遠い昔、何度も何度も繰り返して読んでいたのが、この福田恒存訳の老人と海だったのだ。
先の祭谷一斗訳は老兵の口には合わない嚥下し難い違和感のある料理みたいだったが、福田恒存訳は手練のシェフが作ってくれた逸品に思われて、その一節を小声で音読したほどだった。
暑い中図書館に来たことが、手抜きされた料理を食わされた後味の悪さと不愉快な思いを消し去ってくれた。


我儘な味覚といえば先日京都へ出た折に入ったイタリアンの店で感じたことがある。
ある路地を歩いていて、手書きメニューの黒板を出しているイタリアンの店を見つけ、メニューが手書きされているということに興味を感じて入ったのだ。
炎天下を歩き廻っていた所為で遅い昼食だった。

普段だったら昼食は好きなものをアラカルトで注文するのだが、疲れていて考えるのも面倒くさくなり、シェフのお勧めと書かれた簡単なコースにした。
サラダと生ハムとトマトの冷製パスタはまずまずだったが、冷製パンプキンスープはなんじゃこれはという風味だった。大半を残してしまった。

パンプキンスープはミキサーからそのまま皿に移した(こしきにかけるという一手間を抜いた)感じのものでクリーミさに欠け大袈裟に言えばざらつく感じがしたし、その上玉ねぎの味が舌に残る感じがしたのだ。
魚料理はイサキのソテーしたものだったが妙に甘ったるいソースなのだ、ソースをナイフで取り除いて喰った。(塩を頼もうかとも思ったが頼まずだ)

歳がいってからいろんなことに対して我儘になっている。
殊に食べ物については、残り少ない人生なんだからお気に入りのものを食いたい、という思いが強いだけに、何じゃこれはというものを喰わされると腹が立つのだ。

今日は午前中玄関先にナツアカネが来ていた。

縄張りをパトロールするかのように行ったり来たりし、止まる時は決まってタカサゴユリの上だった。
午後からは見なくなる。