炎天下を歩く

京都市役所の近くで用事を済ませた後、祇園祭・後祭の山鉾巡行に「大船鉾」が150年ぶりに復活参加するということを思い出しその姿を見に行く。
昼下がりの市街は肌にまとわり付くような暑さだ、日陰を選んで歩くが汗が噴き出してくる。


鉦の音を響かせながら大勢の人の見守る中をゆっくり動いていく山鉾巡行の時の山鉾は、晴れの舞台で踊る舞い手のように優美だが、真昼間の街路に置かれている山鉾は何とも言えずもの悲しく感じられる。
覗いてはならない舞台裏を垣間見た感じなのだ。
動かないこの山鉾も夕闇の中、提灯に明かりがともされるとその風情を全く変えるのだろうが、真昼間の光のなかでは化粧の粗が見えるようで気持ち悪いのだ。

大船鉾を見た後の帰路、炎天下を歩きながら真昼間の山鉾を見に来たことを後悔していた。