老いのかたち(13)

旧い友人から頼まれたある案内ハガキの原稿作成に一日ふうふういっていた。
ワードを使えば簡単だと思い引き受けたものの思うようにならないのだ。
ペイントを使った簡単な地図の作成、画像の挿入にテキストボックスを利用、書式を変更する等など、その操作手順を曖昧にしか思い出せないのだ。

ワードは正規の教育を受けたことはないがそれなりに使いこなしていた。
そんな自負があった。
しかし今はほんの断片しか思い出せないのだ、原稿作成を引き受けたことを半ば後悔していた。

サブのPCを立ち上げ、必要な手順を読みながらの原稿作成にかかる。
一度読んだ手順も少し複雑になると覚えきれない、行きつ戻りつの試行錯誤の連続だった。
試行錯誤を続けていると少しづつ手順を思い出し、後半はかなり楽に作業が進む。

この思い出した操作手順も何時まで覚えていられるだろうか。
僅かな時間の経過とともに忘れてしまうんだろうな、これも老いのかたちなのだ。

「老いのかたち」という言葉に引きずられるようにして、昨年の11月初旬カミサンと旅行した備中松山城での光景を思い出していた。

お城へ登る山道で私達を追い越していった老夫婦がいたのだ。
私達が喘ぎながらお城に到着した時には老夫婦は既に三脚を据え写真を撮っていた。
写真機材から推測するにお二人とも相当に年季の入ったカメラマンのようだった。
老婦人の近くのザックの上には旧いコンタックス645が置かれていた。
ザックも大型だし三脚も大型だった。
かなりの重量の器材を背負って私達を追い抜いていったのだ。

老い、老いのかたちはあの時の老夫婦カメラマンのようでありたいものだ。

それにしても疲れた一日だった。