茶の花

講座「維摩経とインド文化」の最終講の日だったがサボってしまった。
理由もなく出掛けるのがひどく億劫だったのだ。
何時の頃からか万事億劫という状態になることが時々あり、終日呆け暮らしをしている。
読書もせずTVも見ず放心している日があってももいいじゃないの、と思う反面、ボケますよという声を聴くのだ。

呆けた時間に一区切りをつけようと晴れ間を見つけて虫撮りに出る。
寒くなり始めたこの時期虫など見かけることは稀だろうと思いながらも、気分転換には好きな虫撮りが最適なのだ。

見付けたのは、ツチイナゴ、イナゴ、アカトンボ。



小さな谷間の畑の土手でお茶の花が咲いているのを見つけ土手をよじ登る。

この小さな白い花を見ていてある情景を鮮明に思い出していた。

5・6年も前のことだが、丁度この場所でお茶の花にくるミツバチを撮っていた時、背後から声を掛けられたことがあるのだ。
ハチを追いかけるのに夢中になっていたから声を掛けられたことにドキッとして振り向く。
人の気配など全く感じていなかったから、小さな声だったが飛び上がるほど驚いていた。
小柄な老婆が立っていた。
私は慌てて頭を下げお茶の花に来るミツバチなどの写真を撮っていることを告げる。

”ミツバチの写真を撮っているの”老婆はそんな感じでお茶の花を見、私の手元を見る。
私は急いでそれまでに撮っていたものを液晶画面に出して老婆に見せた。
拡大して見せると、ホォッ、ホォッと小声で呟きながら見入っていた。

小さな液晶画面を余りにも熱心に見てくれるので嬉しくなり、抹消せずに残しておいたチョウやトンボなどの写真も見せた。

お茶好きだった爺さんがいた頃はこの茶の木も手入れが行き届いていたから花もたくさん咲いていたが、荒れ放題の今は花も少なくなり、兄さんにはいい場所では失くなったんだろうね。
年老いた人と思えぬ若々しい声だった。
老婆は昔を懐かしむように問わず語りにいろいろ話してくれた。

耳が遠くなってからご近所の友達との会話が苦痛になり外出しなくなったこと。
体は元気だから家にばかりいると気鬱になるので、爺さんと二人で野菜づくりをした畑を見に来ること。
今日はソラマメとエンドウの種を蒔きに来たこと、そう言って老婆は手に持った魚籠のような竹籠から一握りほどの豆の種を見せてくれた。

話の中でも殊に熱心に話してくれたのは、お茶にうるさかった爺さんが茶摘みから手揉みの茶を作るまで一人でこなしていたことだった。
この話をしている時の老婆の顔は輝いて見えた。

翌年の春2度程その畑で老婆を見かけたが姿を見たのはそれが最後だった。

畑の周辺にはお茶の木の他、梅、柿、夏ミカン、山椒の木などがあったが、現在残っているのはお茶の木と梅、柿の木だけだ。
梅も柿も苔を纏った古木になっている。

お茶の花を眺めながら時の移ろいをひしひしと感じていた。
台風27号の影響で空模様が変わり始めたのをきっかけに畑を後にした。