ヒグラシの死

昼前、門扉の近くでヒグラシが死んでいるのを見付ける、既に小さなアリが来ていた。


この横たわっているヒグラシは何処からここまで来たのだろうか。
あの荒れ狂う嵐の中ではどんなふうに身を隠していたのだろうか。

台風18号がやって来る前、庭のキンモクセイの木などでそのけたたましい啼き声を目当てに探し廻ったがその姿を見ることはなかった。

ヒグラシの骸を撮りながら、心に引っかかっている俳句があることに気付く。
俳句そのものを思い出すことは出来ないでいたが、その句を目にした時、妙な寂しさを覚えたことがあるのだ。
一茶だったか、蕪村だったか、山頭火だったかの句だった。
この名前を手がかりにWebで探してみる。

蕪村の句だった。
 「秋もはや其の蜩の命かな」

呆けたようなその日暮らしをしていると残り少ない歳月は明日にも尽きるかもしれないぞ!
そんなメッセージを玄関先のこのヒグラシの骸は発信しているのだ。

明日から龍谷深草キャンパスで、インド文化と仏教、「ダンマパダ・法句経」講読、シルクロード仏教史料を読む、などの下期の講座が始まる。
ひぐらしのむくろにならないように、頑張ろう。

写真仲間のTさんからのメールには、新しい試みで彼岸花やコスモスを狙っているとあった。
Tさんの感性が切り撮った花々見せてもらわなくては。楽しみだ。
明日の講座からの帰りにはテーマの一つ「京の暖簾」を撮ろう、Tさんに負けないように。