イトトンボの眼

朝から雨が降り続いている。
雨降りは決して嫌いではないが葉落としの頃の暗い雨だけはどうしても好きになれない。
しかもそれがしとしと降るような細雨だと余計に嫌なのだ、こんな雨が嫌いになったのは何時頃からだろうか、老兵の域に入ってからのように思う。

雨降りの日の行事の一つ書斎の掃除を徹底的にやった後、気分転換も兼ねて写真ファイルの整理とバックアップにかかる。

「トンボの眼」というファイルを持っている。
トンボの眼をアップで撮ったものやトリミングして切り出したものだ。
シャープさがいのちの昆虫写真なのに、最近のものは随分ピントが甘くなったり手振れしているものが多くなっている。
老眼と腕力の衰えの所為なのだ、悲しんでみても詮方ない。


こんな暗い気分から解放してくれる記事を今日の京都新聞のオピニオン・解説欄で見付ける。
「古代の月信仰・アマテラスは月神だった」古代研究家・三浦茂久さん(福井魚網元常務)に関するインタビュー記事だ。

在野の研究者として56歳の時にリタイアして以来21年間、古代の月信仰を追求してこられた。
そのまとめが「古代日本の月信仰と再生思想」「古代枕詞の究明」として出版されている。

 ”アマテラスは日の神ではなく、実は月の神だった”という説は、鎌田東二京都大教授から「古代史研究にコペルニクス的転換」と高く評価されているとのことだ。

「アマテラスは太陽神ではなく月神だ」という仮説をどんな形で思いつかれたのか知る由もないが、その仮説を検証するために「日本書紀」「古事記」「万葉集」などを始めとする多くの書籍を繰り返し読まれ思慮されたようだ。

新聞に出ている写真を拝見しても1934年生まれとは思えない溌剌としたお顔をなさっている。
思索することが老化を寄せ付けないのだろうと思う。

呆けたようにTVを見ることだけは避けているが、思索することや仮説思考などという世界からは縁遠くなっているこの頃だ、上手く老いる為にも工夫が必要だ。
私も「古代製鉄」に関する書籍を夢中で読んだ時期が一時あったが、今ではそんな情熱も失われている、老いは急な下り道のようだ。
これからの道がたとえ下りの急坂であっても、新聞記事で拝見している三浦さんのように溌剌としていたいものだ。