雑踏の中で

久しぶりに京都へ行く。鄙から出て来た老爺が都の人混みの中をよろよろと歩く。雑木林や棚田、湖岸での虫撮りや鳥撮りはほとんどが独りぽっちの世界だ。そんな場所から雑踏の中に出るとまるで異世界に迷い込んだようで言いようのない圧迫を感じていた。人の多さとその喧騒に驚き、背中を突き飛ばされる感じに身をすくめていた。こんな感じが京都へ来るたびに膨れ上がっていくようだ。

写真ギャラリーを何ヶ所か見て廻るつもりだったが、雑踏の中で疲れを感じ始め思いは叶わずだった。人通りの少ない路地の薄暗い喫茶店に逃げ込み、一時間近く過ごした後、京都へ出た折には必ず立ち寄ることにしている人形店・田中彌へ行く。

内裏雛を見る。

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もう随分以前だが、このショーウインドウで小さな木彫りの内裏雛を見た記憶がある。素晴らしい作品だった。小さな一品だったがえっ!と驚くほどの値札が付いていたことを覚えている。作者名もあったが名前は思い出せない。

雑踏の中を歩きながらいろんなことを考えていた。

天人五衰

昨年の秋の初め頃から、何かの弾みで「天人五衰」という語句を思い浮かべることが多くなった。今日も定期検診に行った病院の待合所で旧い知人のSさんを見かけた時、あっ!という思いと同時にこの言葉が頭をよぎった。

小柄な老爺がよたよたという感じの覚束ない足どりで呼吸器科の診察室へ向かっているのだ。診察室のドアに手を掛けたその横顔は、昔日の面影を僅かに残すだけで別人の風貌になっているのだ。呼び出しのアナウンスの声が聞こえなければSさんとは気付かなかっただろう。

Sさんとは同じゴルフ倶楽部に所属していたことから長い付き合いだった。おしゃれでセンスの良い服装をいつもしていた。小柄だったから飛距離はあまり出なかったが、正確なショットとパターの上手さでコンペの時にはいつも上位にいた。乗用カートに乗ることを好まずいつも颯爽と歩いていた。私が林などに打ち込んだボールをよく探してくれたものだ。ゴルフ練習場でもよくご一緒した。その折の休憩時の話題はほとんどがSさんが提供してくれたし、情報の豊富さと話し上手に引き込まれ、時の過ぎるのを忘れていたこともしばしばだった。いろんな思い出がふつふつと湧き上がってきている。

そんなSさんの何という変わりようだろうか。風貌も変わり歩き方も変わり、身につけているものもどことなく薄汚れて見えるのだ。時の流れがSさんを酷く傷めつけているようだ。天人五衰、いわんや人においておや。寂しさを痛いほど感じている。

 

彼も老い 吾も老いたり 山は雪   風来坊

 

小雨の降り止んだ時、寒雀の孤影を見る。

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大寒の日に

玄関の扉に極細の生糸一本でぶら下がっているアオスジアゲハのサナギの体が随分と膨らんでいる。殻の中では蝶になる準備が進行しているのだろう。

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シロダモの葉裏にいるサナギも同様に大きく体を膨らませている。

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葉裏のコヤツにレンズを向けながら、今日は二十四節気の最後の節気大寒の日なのを思い出していた。昔はこの頃が最も寒かったのだろうが、今年も暖冬で身を切るような比良颪に見舞われたことはこれまでにはない。それにしても老爺は僅かな寒さに身をすくめ鳥撮りに出掛けられずにいるのだ。

鳥撮りに出掛けられずにいる大寒の日の徒然に、これまで時折思い浮かんだらブログに書き入れていた俳句(?)を拾い出す作業をする。

 妻が伏し 孤りの夕餉 冬の雨

 老妻病み 取説を読む 冬日

松の内があけた頃からカミサンの調子が悪いのだ。三日ほど滋賀県立総合病院へ検査入院する。

 寒満月 思いさまざま 八十路かな

 鳥撮りに行けずにいるや老いの冬

 虫撮りに 行く日待ち侘ぶ 寒暦

 ファインダーに捉えきれずや落雲雀

 弱法師歩みの果ての彼岸花

 虫撮りの老爺に来るか次の春

 老いてなお虫撮りしおり麦の秋

 思いだけが飛び立っていく雪の朝

 山茶花よりも藪椿の方がいい

 ともがらの訃報聞きおり月しぐれ

 吾に問うほろ酔いですかと酔芙蓉

 迷い来て路地裏道にネギ坊主

 かゆい眼で眺めおり春耕の田にムクドリの二つ三つ

 老躯には重きレンズや寒雀

 歳旦に残りの日々を数えおり

 残る月 虫撮りの日々 如何ばかり

 秋深く雨降り止まず呆けおり

 鬼の子の蓑も借りたし夜寒道

 蓑虫のいる陽だまりで本を読む

 逝く友を送りし道に寒椿

 

俳句(?)を拾い出す作業をしていて、不意に神話の起源のことなどが気になり始め図書館へ行く。ジョーゼフ・キャンベルの「神話の力」と「野に雁の飛ぶとき」を借りて帰った。

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今日は大寒の日、立春啓蟄の日が待ち遠しものだ。

干し柿とテントウムシ

「ベランダに猿が来てますよ」カミサンの声に階段を駆け上がった。カメラを持ち出した時には野猿は隣家の屋根に移っていてその背中を一瞬見ただけだった。昨年暮れ以来住宅地で猿の姿をよく見かけるという。時には10匹近い集団をも見かけるようだ。そんな事もあって、敷地内で取り残されている柿の実を取り除くようにとの通知もあった。

我が家のベランダにも昨年暮れに貰った吊し柿が2個ぶら下がっている。猿の姿を見失った後コヤツを取り入れる。その時、柿が吊るされた庇の下でテントウムシが2匹転がっているのを見つけ、コヤツも一緒に取り込んだ。

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越冬中のテントウムシが何処かから転げ落ちたのだろう、死んでいるようだ。

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年賀の挨拶が出来ていなかったと寒中見舞いを1通貰った。自分にも年賀を欠礼した知人がいるのを思い出した。欠礼を侘びて寒中見舞いを用意しなければなるまい。呆け暮らしが続いていると何かと欠礼することが多くなっているのだ。

 

* 逝く友を送りし道に柿簾     風来坊

寒満月

書斎のカーテンを閉めに上がった時、沖島の上に満月が出ているのを見る。

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令和2年初めての満月だったから三脚なども用意して撮りたかったが機材は車のトランクの中、コンデジ窓の手すりに押し付けて撮る。

湖北へ鳥撮りに行こうと思い車に機材一式を載せたのは昨年12月の半ばだった。それ以来機材をを詰めたバックは車に乗せっぱなしなのだ。呆け暮らしが一段と昂じている状態だから全く動けないのだ、悲しくなる。

 

* 寒満月 思い様々の 八十路かな

* 鳥撮りに 行けずにいるや 老いの冬

* 虫撮りに 行く日待ち侘ぶ 寒暦

          風来坊(推敲しないままに)

タカサゴユリの花にいたツヤアオカメムシ

ご近所のIさんが菜園でとれた里芋を届けてくれた。その折「ユリの花にカメムシが隠れていますよ」と教えられる。

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よく見ると確かに花びらの間に潜んでいる。門扉を出入りする時、必ずと言っていいほどユリを見ているが、カメムシが隠れているのに気付かずにいたのだ。

カメムシはツヤアオカメムシ

時雨から身を守るには十分な場所だろうが、越冬するには不向きだ。ユリは間なしにしおれ枯れ落ちていくのだから。ナナホシテントウのように書斎に越冬場所を提供する気にはなれないでいる。

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電子書籍リーダーとして使用しているkidle fire HD7も使用始めてから6年、バッテリーの持続時間が短くなり、充電にも時間がかかるようになっている。それにカバーも痛みが目立つようになっている。そんな事もあってkindle fire HD10をamazonに注文した。

 

午後3時過ぎの階段でハチの死骸を見つける。黒い体に白い帯を持つハチだ。よくよく見るに頭部が欠けていた。ハナバチの仲間だろうか、名前は判らない。

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師走のナナホシテントウ

午後遅く書斎に上がった時、ノートパソコンの上にナナホシテントウがいるのを見つける。どこからやってきたのだろうか。寒さに身を縮めての呆け暮らしが続いている所為で、ここのところ鳥撮りにも虫撮りにも出掛けずにいる。そんな老爺のための1ショット用にやって来てくれたようだ。

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買い物からの帰り道、冬枯れの田んぼの上を翔ぶスズメの大群を見た。近年見かけたことのない大きな群れだった。「四季のスズメ」を鳥撮りのテーマの一つにしてスズメを追いかけているのだ、天気が良ければ寒さを厭わず長いヤツを持ち出しスズメ探しだ。比良山麓の集落や田圃道を歩くか。虫撮り用に17-70mmレンズも持参しなくてはなるまい。

 

ナナホシテントウにはサランラップで蓋をしたプリンのプラスチック容器を越冬用の場所として提供した。